日の本に生まれ出でにし益人は神より出でて神に入るなり
中西直方『死道百首』
神道墓
神道と仏教 葬儀の違いについて
神道と仏教の葬祭の大きな違いとは、その霊魂観の相違からくるのではないでしょうか。
仏教のおける理想とは、出家し、修行を積み重ね、自らの煩悩をすてて悟りの境地に達し、死後、人間的苦悩である六道(天界・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄)への生まれ変わりから脱して、涅槃成仏(ねはんじょうぶつ)という状態に至ることを言います。
悟りの境地に達し得ない人は、亡くなってから四十九日(中陰)を過ぎると六道のいずれかに生まれ変わり、迷いの生を続けねば成りません。
このため、仏式葬儀では、仏法の加護で故人が成仏できるようご本尊に祈り、四十九日の法要等もこのことが中心に行われています。本来、それ以後の追善供養をおこなわないものも、成仏した後、故人の霊魂が現世と隔絶した存在になると考えられているからです。
此れに対して、神道は、現世(うつしよ)を第一義に考えています。人が亡くなった後も霊魂は不滅であり、祀られて鎮まったみたまは、子孫を見守る祖霊となります。こうした考え方により、神葬祭では故人の生前の功績を称え、遺徳を偲び、その後、祖霊祭(年祭お盆・お彼岸)では亡くなられた方の、みたまを丁重にお祀りするのです。そこには、故人の霊魂と遺族との直接的な関係があります。現在、仏教の行事とされているお盆・お彼岸などのみたま祭も本来は仏教と関係なく、日本固有の祖霊信仰にもとづくものなのです。